すーさんぶろぐ

\すーろぐだよ/

思い出ができる


動けなくても、話せなくても、

母さんには目の前にいてほしい。


だからお母さんの生命力に思い切り甘え

今までの時間を大切にしてきたつもり。


だけど心のどこかでは、元気な姿のお母さんと比べてしまっている。


母のケアを手伝わせてもらったときのこと。

わたしはもうやる気満々といったところで、上着を脱いで腕まくり。

父は、お任せしますというかんじで病室の外へ。


看護師さんに教えてもらい、母の髪を洗う。

寝たきりの頭は重くて、ゆらゆらするし、後頭部にコブがあったり、頭のすぐ近くに点滴が刺さってたりで、いろいろ気になる。


試行錯誤しながらも、なんとか進める。


ふわふわに立った泡を洗い流すころ

写真を撮りませんかと、看護師さんからの提案。

母とわたしをカメラにおさめるため、父も病室へ。



写真を撮る。それは、今の大変な状況にいる母の姿を焼き付けること。

生と死のはざまにいる母の姿を残す。


なんだか切なくなるから、ほんとに撮っていいのかなんて一瞬思ってしまった。

どんな姿でも、優しく温かいわたしのお母さんなのに。





それでも、母との思い出 家族で過ごす時間 変わらない。

父が撮影したのち、母 わたし が写るよう看護師さんにも何枚か写真を撮ってもらう。




その日母の病室は、夕方までシャンプーのいい匂いがしていた。

一瞬ふくらんだ矛盾した気持ちも、弾けて消えた。


同じことをしてあげる


母が入院してから明日で2カ月。
意識もなく、どんなに呼びかけても人工呼吸器の規則的なシューシューという音しか返ってこない。

それでもなんで 話しかけ続けるのか。
それは、会話ができなくても母と過ごす大切な時間に変わりはないと思っているから。

わたしが赤ちゃんで、お母さんのお腹にいる頃。
会話なんかできない、姿すら見えないわたしに向かって、母はきっとたくさんの言葉をかけてくれたはず。

覚えてはいないけど、きっとそうだよね。

そんなふうに思って母に声をかけると、無機質な病室があたたかい場所に変わる。

聞きたいことがたくさん

わたしの人生が始まって26年になる。

おぎゃあと泣いてこの世に生を受けてから、今のようにたくましく育つまでを、母は知っている。

(18歳で親元を離れてから一緒にいる時間は少ないが)

生まれる前、お腹にいた頃のことも、きっと母は知ってるね。


一方で母のこれまでについては、思い込みやかん違いが多々あって、今になって初めて知ることが多い。


その中でも興味を引いたのが、母の生まれた家はダムの底に沈んだこと。その次に、兄が生まれるまで測量図の会社で事務の仕事をしていたこと。


・・・


ダムに家が沈んだことは、おばあちゃんが前に話してくれた。おばあちゃんちは町を入ってすぐの商店街沿いにあって、広い土間が印象的だった。2階はおじいちゃんの書道教室だった。わたしが幼い頃から通い、昔からあると思っていたそこは、祖父母や母にとっては新しい家だった。

(なんでここ字が大きくなっちゃうんだろう)


母の昔話に、小さな頃飼っていたミツバチに刺された というのがある。

奥で飼っていた、というから、どこか家から離れた場所で飼っていたのかと思っていた。

実際は山奥の昔に住んでいた家で、養蜂をやっていてミツバチを飼っていたようだ。


わたしはてっきり、おばあちゃんの生まれた家が沈んだのかと思い込んでいた。

本当はそうではなくて、母が小さな頃、いまから50数年前の出来事だった。


遠い遠い昔の話ではなく、29歳離れた母のルーツでさえ、ダムの湖底にあってどこを探しても見つからない。

数軒の家がある小さな集落が、3つか4つか。

その全てを流れる川を人工的に堰き止めて、

国策のもと、村も畑も神社も鉄道も、深く深く湖の底に沈んだとのこと。


利便性を追求する世の中の波に飲み込まれ、故郷が失われることを考えると切ない。



離れた故郷を想うとき、懐かしさや優しさ・なんとなく切なさをかんじる。


明日は半日で仕事を切り上げ、夕方からお母さんと会える。早く会いたいな。

お母さん自身が私のふるさとだと今思う。




お母さんのことが好き


お母さんの嬉しそうな顔が見たい

お母さんのニコニコ笑顔がまた見たい

せめてもう1回だけでもって声をかけて、

きょうはもう東京に戻らなきゃなんて悲しい


・・・・・


母が職場で突然倒れた。

職場は保育園、0歳児にごはんをあげて

配膳のトレーをもって移動している最中

声もなく倒れたと聞いた。

(トレーを落とした音で、他の職員が母が倒れたことに気づいたらしい)

心肺停止で病院に搬送され、体は冷たかった。それでも生きたい本人の強い気持ち・救急対応してくれたいろんな人の助け・家族の想いがあって、母の心臓は動き出した。


・・・・・


子ども好きな母は、いつから子どもが好きなのかはわからないけれど、小さな頃から幼稚園の先生になるのが夢だったみたい。

6人兄弟の下から2番目、父母や兄姉、祖父母(私からすると曾祖父、曾祖母)にたくさん可愛がられた母は、優しい心をいっぱいにふくらまして、幼児教育の仕事を志したのだと思う。


私が生まれるさらに前、父と結婚した時点で母は短大卒業後初めて勤めた幼稚園を退職した。

(私立の幼稚園のため、遠方に引っ越すならやめるしかない)

その頃教えた子どもたちは、いまではすっかり中年にさしかかるような年頃。

それでも母はその時教えた子たちの写真を宝物としてもっていて、私からすると知らない子どもの写真わんさかアルバムにあるので少しびびる。


そんな子ども好きな母が職場で倒れた。

突然すぎて夢であってほしいと思ったけれど、意識もなく、呼吸もできないお母さんの状況を、現実として受け止めなければならなくて。目の前にいるお母さんと会話ができないこと、笑顔が見られないことが悲しいし寂しすぎる。


明日も東京で、普段の仕事がある。

最終の新幹線はいま小田原を出たところ。


母が入院して38日がたつ。日常と非日常を行ったり来たりする今さえも、いつか思い出になってくれるのかな。

過去の自分に救われてる


ここ1週間ほど、心のバッテリーが消耗しすぎて

かなり地獄だった。


というのも、会社の同僚が結婚をして

家事に専念する為退職することになったからで。


同じフロアで唯一同い年の彼女には、

わたしにはできない選択の行使権があって


日々もやもやしながら仕事している

曇り空のわたしの頭の上を、ジェット機みたいに

超高速で突き抜けていったように感じられたから。


隣の芝生は青い、と似た感じで

隣のお空は晴れやかな青空なんだなって

嫉妬しちゃって、ただただそんな自分が悲しや。。。


送別会の翌朝、土曜日なのにもかかわらず

仕事の日みたいに朝早く目覚めた。


昨夜はあんなに仲良く話して送り出せたのに、心の中に違うイヤな想いが残ってたのに気付いたのが、ショック。


残った酒は簡単にリセットできる体なのに

残った感情は行き場がないから心は難しい。


わたしの地獄の鬼たち、嫉妬や自己嫌悪という金棒振りかざして追ってくる。


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でもね、鬼ヶ島よりこわそうな池袋の街で、

セミナーを聞いてきたとたん、安らぎと安堵がわたしの心に帰ってきた!


セミナーは、豊島区主催で田中俊之先生が男性学について講じるもの。


大学時代、田中先生の講義を受けていて

コメントペーパーを出すタイミングで

鈴木さん今日は起きてましたねって言ってくる、やや厭味な変わった先生で好きだった。


今回の講演で、わたしは男性の生きづらさに気づく為の、社会の見方や

そもそもなぜこの議題について、考えるべきなのかっていう動機付けのヒントをもらった。


そして何より、意味があったのは

「そうそう〜これこれ〜社会学バンザイ。多様な価値観を認めてこう。」という感情を思い出したこと。


だってやっぱり男女問わず、自分の理想を実現できる道筋を誰にも邪魔されず選択できる社会がいいよな。


男が一生をかけて働き妻子を養い、

女は結婚したら仕事を辞めて家庭に入る。

間近で見たこのスタイルに、ひどく嫉妬していたわたしは頬をたたかれた気がする。


現実を見ろ。

頬を叩いたのは過去のわたしだ。

10代のお前は何を学ぼうと選択したんだよ。

そんな思いが飽和してきて頭の中は満タン


ここのところわたしを悩ませてきた鬼たち、

ブクブク膨らんだ学びへの情熱で頭の回路からすっかり追い出されてしまった。


良し悪しはわからないし人それぞれの人生、

比べる必要もなければ勝手に心配する必要もなし。


いつの間にか心はいつもの調子で助かった。

過去の自分に助けられつつ、今後も毎日頑張ろう。


自分に自信がついた最中、たったいま地震だ。泣き。


今日の爽快度:★★★★★

今日の運動量:★☆☆☆☆

今日の震度:

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戦場のボーイズアンドガールズライフ

なんか24歳の途中くらいから、とても生きやすくなった。

 

真の根明になったような気がする。なんだかやっと人格のチューニングがあったような。

もちろん他の人にとってわたしは、未完成のポンコツにみえるだろう。

でも自分が思う完成がこの地点で、ここからは頑張って歩くのではなくて

出来上がったこの巨体をいろんな世界にぶつけて、まあるくどっかにはまるように

形成していけたらいいなあ

 

最近はすなおに人に向き合って見て

そうすると他人もすなおに感情を見せてくれたり

こころをほんの少しでもひらいてくれたりする

(わたしは根明なので、ネガティブ感情を共有することはあんまりないから幸せなやつ)

 

そういう瞬間が好きだからずっとポジティブ野郎でいたいし

バカって思われてもいいからずっと変なことして笑ってたい

 

どうあがいても、とびきり優しい人にはなれないけど

自分が好きな自分になって、周りにいる人を楽しくさせたいな

 

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今年の抱負は、1日も無駄にしないことです。

 

今日のすっきり度:★★★★☆

今日のまんぷく度:★★★★★

今日の行動力:★☆☆☆☆

 

飾り棚に好きなものを並べた

街に繰り出すと、誰かが作った誰かへのメッセージであふれているのに気づいたよ

 

チカンに注意!落石注意!シルバーシート エトセトラエトセトラ、、、

 

社会ではいつも、自分以外の誰かが主語であって主役であって

わたしを出そうとするとどこかで調子がおかしくなるし心も擦れて痛い

 

わたしが目覚めるための時計、わたしのテンションを上げる服、

わたしの疲れを取るいい匂いのろうそく🕯🕯🕯🕯🕯

わたしが主語の空間って自室しかない

 

でもねみんなは、こんな孤独を打ち消す方法を知ってる

 

それは自分の家族をつくること、仕事で唯一無二の存在になり必要とされること

強固な信頼関係を友人と築くこと、恋人といつまでも変わらない愛を誓うこと

 

でもそれって、他の誰かを主語にすることで

みんなは早くに結婚してしまうけど、それはとてもめでたいことなんだけど

自分のことも満足に語れないうちに、旦那や子供を主語にしていいの?

 

わたしはあなたの意見が聞きたい、考え方にふれたいし、

あなたのいう「わたしは・・・」に続く話を待ってるよ

 

もやもやした心を、お母さんに話したら

それはしょうがないことなんじゃない、みんながみんな、自分の話に自信があるわけじゃないって言われてしまった

 

お母さんの職場の飲み会なんて、そんな人ばっかりで

他人に興味がないから聞いてもクソつまらないよって言ってた

 

額縁みたいに、自分を立派に見せるために話すの?

それとも愛が溢れて、幸せすぎて口から出てしまうの?

 

後者だったらいいのにな、さんざん旦那や子供の話を聞かされも

それでわたしは幸せなのって言ってくれたら、わたしはあなたの心に触れられた気がするよ

 

わがままな意見だけれど、本心で語り合えば

誤解や齟齬なんてなくて素直な気持ちが現れるって信じてたいな

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