すーさんぶろぐ

\すーろぐだよ/

街歩きしようと思ったのは、元々それが好きだからというのもあるけど、

家に帰るまでの時間をその日にしかない瞬間で埋めたいなと思ったから。

 

今日みたいに小雨が降る水曜の夜は特にちょうどいい。

人気(ひとけ)がまばらな夜の商店街や幹線道路、薄明かりのちょっとした小道は昼に仕事で味わうプレッシャーを解放してくれて、自由で何にも縛られない時間を噛み締めることができる。

 

今夜は日暮里で降りてみることにした。

朝の通勤電車からみる谷中霊園の紫陽花がきれいだった。夏に向けて少しずつ瑞々しくなる景色の中で、終わりかけの季節の花を愛でることが癒しになると思ったからここで降りたのだけれど。

 

どうしてだろう、飲みたい缶チューハイを探していたら西日暮里の方まで来てしまったから、このまま歩く。

 

この街の夜の印象は一言で言うなら猥雑で、立ちんぼにガルバの客引き、場末感あるキャバクラが煌々と輝く味わい深い街だった。

あとなんか中華料理屋がどこもかしこも美味しそうなのである。

特に惹かれるのは、雲南省とかそんな感じで中国の中でも地方の料理に重きを置いていて、昭和の頃からこの街に根付いている華僑の文化を感じられるからなおいい。

【3階は緑、2階はピンク、そして1階は絶対に美味しそうな中華屋がきらりと光る】

【フォントがかわいいルートにっぽり】

 

地図を見ながら歩くと、次は「エーゲ海」がある角で曲がる必要がある。

昭和の香りがするスナックだったらいいなと想像しながら進むと、そんな予想からは恐れ多い大きなラブホテルだった。本当によく目立つので、きっとこのあたりのシンボルであろう。

 

この先の大きな線路を渡れば、すぐに西日暮里に着く。

歩きながら、また冷たい缶チューハイを片手に夜の東京を散歩したいと思った。もうすぐ好きな季節がくる。

とにかく人と関わらないと終わるな(6月5日の日記)

と思ったけど、ほんとうに心の底からそう思っているのだろうか。

自分の天邪鬼さはじぶんがいちばん知っている。甘いものは辛いし、明るいものは暗いと言うのがかっこいいと思って勘違いしてる。

 

あとは本音と建前がありすぎて、本来それって他人に対しての防御反応だけどわたしは違う。自分に対して嘘をついてしまうことがある。自己肯定感は高くて、マイペースで前向きな人間なのにどうして。

 

こころの奥の本音をひっぱりだして白日に晒すのが怖い。プライドが高いんだろうか。

気になる人にも素直な気持ちが伝えられない。

 

高校一年生で一目惚れした古川くんは、自動車部品工場ばかりの砂埃立ち上る静岡県の端っこで、ポルトガル語混じりの異国情緒あるブラジル人団地に住んでいた。すごく近所だった。

 

メアドを交換してもらい、バイトの合間にメールのラリーを続けるのが楽しかった。暗いバックヤードで新着メールの光を見つけると嬉しくなった。

瑞々しい気持ちを枯らすのはいつも自分のお天気屋なこころで、弱気な胸の芯の部分で。仲良くなりたいのについ関係ない話題を出してしまう。古川くんのモンハン友だちの河村くんとわたしの友だちの恋の話とか。

 

そして古川くんとは何の進展もしないまま高校を卒業した。残ったのは彼が好きだったナンバーガールのプレイリストだけ。WALKMANの中にある景色、今でも再生できる。そこにいるよく知る少女の後ろ姿が愛おしい。

一方で古河くんの姿は、まつ毛が恐ろしく長いこと以外は忘れてしまったけど。

 

わたしが好きだと思う人、異性とはどう関わればいいのか。柔らかい気持ちを忘れたと思い込んでしまって、たぶんこのままだと終わってしまう。

コーヒーワンコインの価値(6月上旬の昼休みの日記)

ランチタイムに街へ繰り出し、

コーヒー屋さんの500円お持ち帰りの看板を見てふと立ち止まる。

ついさっき、お昼ご飯として購入したカレールー(ライスは自宅で詰めてきた)も500円と少し。

 

同じくらいの価格でも、お腹にたまるものとそうでないもので、価値はなんとなく違う気がした。

 

もしコーヒーが持ち帰りではなく、店内で振る舞われるカフェスタイルだったら、少し価値は変わってくる。

仕事の休憩という限られた時間に500円は高いけど、平日の仕事終わりや休日のくつろぎ時間なら500円でもそれ以上でも払うことができる。

さらにいうと、寒い日の友だちとの散歩時間に飲むコーヒーだったら持ち帰りでも500円以上払えるだろう。そういうときはコンビニの200円くらいのコーヒーでも心が温まるからいいんだけど。

あとはドライブ中にサービスエリアで買うコーヒーなら多少高いのには目をつぶるかもしれない。

 

持ち帰りコーヒーの適正価格でみんなとディスカッションしたい。

好きなセブン(5月中旬の日記)

コンビニは街の顔になりうるのか。

即答でなる!と言いたい気持ちになる根拠に、近所のセブンイレブンがある。

 

わたしが住む新興住宅地から隅田川を渡り、

古くからの住宅側エリアにそのセブンはある。

 

道に沿って斜めに作られた建物だから、

その店舗の近くに行くと、道に沿って平行に作られた店舗とは異なり、近づく少し手前の段階で堂々の店の顔(正面入り口)がわたしを迎えてくれる。

 

その入り口脇では、今どき珍しい喫煙スペースで朝の一服をするサラリーマンたち。少し離れたところには警備会社の制服を着たおじいちゃん2人がいて、隣の家の低い塀に腰かけて、セブンコーヒーを飲んで仲良く和んでいる。

 

朝8時のセブンイレブン、そこにあるなんてことない日常の一コマが好きだ。

好きな理由はシンプルで、わたしが10代を過ごした頃のコンビニは、駐車場などの店舗敷地でたむろすることは当然の、地元民のサードプレイスだったから。懐かしい気持ちがするから好きなのだ。

 

朝は働きに出て、夜はご飯食べて飲んで寝る。

ライフスタイルは様々だけど、昭和の時代から定番だった暮らしのルーティンが令和の今も変わらず見られるのだから、この街の形もあんまり変わってないのかな。

 

変える理由なんてないし、変わる必要もない。

羨ましさの正体(5/20)

ゴールデンウィークは地元に帰省した。

遊んでくれた友だちは婚活をしていて、やはり普通の恋愛ではないようで聞く話すべてが斜め上をいっていて面白かった。

最近辛くて気持ちが塞ぎ込んでいた別の友だちさえ、男と女、本来そこにあるべきロマンスとは正反対のサイコパスみを帯びた場面展開に感情が追いつかなくて、終始笑いが堪えられず高頻度で会話が中断するほどだった。

強キャラの婚活話は鬱に効く。

 

祭りの後にふと寂しくなるように、東京に戻ってきてから 面白すぎたラブストーリーの顛末がじわじわと心を揺らしてくる感覚がある。

婚活で出会った2人の人格は元々別のパズルのピースのようで、 自分や相手の形をかなり強硬な手段で変えたり削ったり試行錯誤を繰り返して 一つに収まろうとしていた。

その過程が強く、でも脆くて、人間らしさが愛おしいと感じた。大恋愛だねって思う。

 

そして、そんな2人のことをいいなと思う時、 自分の中にある空白の感情にやっと名前をつけられる気がする。

0519の日記

日高屋の汁なしラーメンを食べた。

本当はお昼に食べたかったけれど、平日オフィス街の行列には並ぶ前から戦意喪失してしまって、サラリーマン戦士同胞のコスパ最強飯は3時間半の残業を経て乙女の夜のご馳走に昇華された。(生ビール付き)

 

シンデレラを迎えにくるカボチャの馬車よろしく、都営バスの最終便に身を預け帰り道をいざ急ぐのだけれど、

泡一つ残さずに飲み干した生中ジョッキは今ごろガラスの靴の代わりになっている頃かな。

 

バス停を降りると23時過ぎの郊外は人通りもまばらで、隅田川沿いの道を揺れる水面を見つめて無心に歩くだけだった。

そこから曲がり角を曲がって、自宅マンションに着く頃には初夏の生暖かいそよ風だけが吹き、全くといって生き物の気配がない。

 

路肩に新緑の落ち葉が重なっているのを見て、一瞬カマキリの共食いに見えたけど、ただの無機質な重なりで期待はずれ。

がっかりした。