すーさんぶろぐ

\すーろぐだよ/

おっさんの弱音を聞く必要はない

飲み会に誘われたら嬉しい。

わたしと話したいと思ってくれて、声をかけてくれたのかなと想像するから。

でもたまに、なぜ誘ってきた?という催しもある。だいたいそれは職場の付き合いで、数合わせかなと想像して、気乗りしないときは断る。

 

最近そう思った飲み会の誘いがあり、その時に他の部署の課長職が送ってきたメールに対して、なんだかもやっとしてしまった。

 

メール本文の一部

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参加者 ◯◯さん、◯◯さん、、、

他に来たそうな人がいればお誘い頂いてもいいですよ

(おっさんと飲みにくる人は居ないと思います)

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かっこ書きの中の言葉、おっさんは誰のこと?

送り主の課長もおっさん、他の参加者も半分おっさん、それは間違いない。

でも、おっさん以外の人は、そのおっさんのことを、ただのおっさんだと思って接する訳じゃない。職場の◯◯さん、として接するのだ。

 

おっさんという記号で、自分やその周りをカテゴライズして、他に誰も来なくても、おっさんが多いからと仕方ないと予防線を張ってるのだろうか。

 

さらにこのメールでは、わたしやその周りの女性のことを、営業の愉快な仲間たちと記載している。

しかし、この課長とは以前の飲み会以降、仕事では関わりがなく、愉快な話題どころか廊下であっても挨拶ぐらいしかしていない。

それでも愉快に見えているの?だとしたら、わたしはとんだお祭り人間に見えているのか。こんな些細なことで不満を表しているだいぶ不愉快なキャラなんだが。

 

 

それこそこの気持ちをこんなところに書くのではなくて、酒宴の席で直接話せばこのもやもやは消化できるんじゃないか。

課長はもっと違う意図で、メールを書いていて、それが分かって相手を理解できるんじゃないか。

立場や考えが違う人と酒を酌み交わすメリットは、そこにある。

 

そう思う気持ちもほんの少しありながら、わたしは断りの連絡を入れて勤務スケジュールも在宅に変更した。

 

おっさんと飲みにくる愉快な女性社員は、いない。

おっさんの弱音を、わざわざ聞く必要はない。

 

お互いを尊敬しあう、人と人の関わり合いがしたい。

 

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